「炎の画家」変人ゴッホはなぜ自分の耳を切ったのか?なぜ娼婦に送ったのか?

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ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホです。
世界的に有名な画家の一人。
炎のように激しい画風から「炎の画家」と呼ばれていますね。
日本にある「ひまわり」の絵は、バブル時代に58億円で落札されたとか。それくらい凄い画家です。しかし、ゴッホの最後は自殺。さらには自分の左耳をカミソリで切り落としました。
これは「耳切り事件」と言われ、有名なエピソードです。
しかも、この耳をあろうことか、娼婦に送りつけているのです。
なぜ?
狂気の沙汰。変人どころではありません。耳を切断したのは同居していたゴーギャンとのいざこざが原因とも言われています。興味がつきませんね。
そんな誰もが知る有名な画家の生涯とは?
それでは、詳しくみていきましょう。

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ゴッホの生涯は短く37年、最後は拳銃自殺

炎の画家ゴッホの自画像

1853年3月30日 ~~1890年7月29日。
ゴッホの生涯は短いです。
わずか37年間。最後は拳銃自殺です。

ゴッホは1853年、オランダ南部で牧師の家に生まれました。
6人兄弟の長男で、父は聖職者。
1869年、画商グーピル商会に勤め始めましたが、1876年に解雇。
この頃の写真が唯一、残っているようです。

現存する唯一の写真と言われる。19歳の頃 出典:ウキペディア

その後イギリスで教師。書店の店員も。
父親の影響なのか、聖職者を志して挫折。やがて幼い頃から絵に興味があったので画家を目指すことを決意。28歳のときでした。
もっとも、画家として活動したのは10年ほど。亡くなってから評価された画家と言えます。生前、絵はわずか一枚(「赤い葡萄畑」という作品)しか絵が売れなかったと言われています。
だからずっと貧乏で、4つ下の弟のテオ(テオドルス)が経済的にも精神的にもゴッホを支え、名作を生む手助けをしたのです。

弟のテオ 出典:ウキペディア

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ゴッホの性格とは?どんな子どもだった?

ゴッホはどんな子どもだったのでしょうか。
幼い頃から癇癪持ちで、周囲の大人たちからは扱いにくい子どもでした。落ち着きもなく授業を抜け出し、海岸で絵を描いていたこともあるようです。

大人になってからも人間関係に悩まされ、職場を解雇されたことも。

そんなゴッホですが、1886年、絵を学ぶためパリへ。そこで、ルノワールやクロード・モネ、ポール・ゴーギャンなどの新印象派の画家と出会い、大きな影響を受けます。

ポール・ゴーギャン 出典:ウキペディア

当時、ゴッホは弟のテオと生活していましたが、1888年からアルルにある「黄色い家」に1人で住むことに。そして画家による共同体をアルルに築こうとパリで交友のあった画家たちに提案します。ところが、誰からも相手にされず、唯一、ポール・ゴーギャンが賛同し、共同生活を始めました。
ゴーギャンもまた絵が売れておらず、貧乏だったのです。

黄色い家。1888年ファン・ゴッホ美術館蔵

ゴッホはゴーギャンを迎えるにあたって彼の代表作となる「ひまわり」の絵を、アトリエに飾るため4枚制作しました。

共同生活の当初は一緒に散歩したり、良質な関係でした。ゴーギャンによって「ひまわり」を制作しているゴッホの様子を描いた作品もあります。

有名なひまわり

しかし、強烈な個性を持つ2人の関係は徐々に悪化。ゴッホ、ゴーギャンともに「価値観が合わず、平穏に暮らすことはできない」と知人への手紙で語っているのです。

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ゴッホは剃刀で自分の耳を切った!その真相とは?

1888年12月、2人は口論し、関係性が最悪の状態になりました。
喧嘩が原因でゴーギャンは黄色い家を出ることに。共同生活はわずか9週間でした。

12月23日、ゴーギャンがアルルを去った1週間後、驚愕の事件が起こります。
ゴッホは、ゴーギャンに馬鹿にされた自分の左耳を剃刀で切り落としたのです。
「ゴッホの描いた自画像の耳についてゴーギャンがからかった」とされていますが、そんな理由で耳を切る?

事件はこれだけでは終わりません。
意識が朦朧とする中、ゴッホは切り落とした耳たぶの一部を娼婦に届けているのです。

事件は地元紙でも報道されています。

ゴッホの耳切り事件を地元紙が報道、耳を娼婦に届けた!

12月30日の地元紙は、次のように報じています。

【先週の日曜日、夜の11時半、オランダ出身のヴァンサン・ヴォーゴーグと称する画家が娼館1号に現れ、ラシェルという女を呼んで、「この品を大事に取っておいてくれ」と言って自分の耳を渡した。そして姿を消した。この行為――哀れな精神異常者の行為でしかあり得ない――の通報を受けた警察は翌朝この人物の家に行き、ほとんど生きている気配もなくベッドに横たわっている彼を発見した。この不幸な男は直ちに病院に収容された。】
—(『ル・フォロム・レピュブリカン』1888年12月30日)

(「ヴァンサン・ヴォーゴーグ」とはオランダの名前である「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)」のフランス語の読み方)

ゴッホはまだ無名ですからね。
ゴッホはすぐに精神病院に入院。以降、発作が頻繁に起こるようになりますが、それでも、ゴッホは自画像を何点か描いています。「包帯を巻いた自画像」もあります。
耳切り事件の後も、さらに3枚のひまわりを描いています。

包帯をしてパイプをくわえた自画像

事件後、ゴッホとゴーギャンは二度と会っていません。

ゴッホは再び孤独に。それから間もなくしてゴッホは自ら拳銃で心臓を打ち、自殺しました。これも発作からの行為ではないかと言われています。

ゴッホはアルル時代、娼婦宿に通い、浴びるように酒を飲むなど、荒んだ生活が続いていたそうです。うらぶれた生活の中で娼婦と孤独感を共有していたのでしょう。
だから切り落とした耳をお気に入りのひとりに送ったのかもしれませんが、本来なら、腹いせにゴーギャンに送りつけるべきでは?

ゴーギャンの後年の回想によると、12月23日の夜、

「ファン・ゴッホは剃刀を持って自身に向かってきたため、怒鳴って追い返すと、同日夜にファン・ゴッホは左の耳たぶを切り、これを新聞に包んでラシェルという名の娼婦に手渡したという」

左の耳たぶとなっていますが、近年の調査では耳の一部ではなく、左耳全部を切り落としたと、専門医が証言していますね。

奇行に走ったゴッホ。誰かに自分の存在を知って欲しかったのでしょうか。
耳を切り落とすのは勇気がいります。その筋の人達が不始末の責任を取って小指を切り落とすのとは意味が違いますね。

孤独で、絶望のなかでの衝撃的な行動だったのでしょうか。
もちろん未だに謎の部分もあるようですけど……。

まとめ

ゴッホの生涯をみてきました。変人か、狂気の人か。最後の拳銃自殺は、絶望の最終章だったとしか思えません。
悲しい結末ですが、今の世界的な絵の評価を知る由もありません。
天国で何を思うのか……。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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