朝ドラ「らんまん」のモデル、牧野富太郎。
最近はどんな人物でどんな生涯を送ったのかも、次第につまびらかになりつつありますね。
そんな中、とくに筆者が気になるのは、2人の妻のうち1人の存在が表に出て来ず、隠されているということ。牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』にも、ほとんど出てきません。最初の妻の存在は年譜から消されているのです。
牧野富太郎、最初の妻「猶」の存在はなぜ年譜から消えたのか
出典:コミックシーモア
最初の妻とは、「牧野猶」です。後妻である寿衛子(壽衛)のことはよく知られていますが、前妻のことは自叙伝にも触れられておらず、隠されています。
いったいなぜでしょう?
そこで調べてみました。
破天荒な牧野の研究生活を支えたのは、糟糠の妻・寿衛子(壽衛)だったことは有名な話です。
『自叙伝』は次のように書いてあります
〈私が今は亡き妻の寿衛子と結婚したのは、明治二十三年頃 ―― 私がまだ二十七、八歳の青年の頃でした〉。
寿衛子は彦根藩の出の父亡き後、邸宅も財産も失くし、小さな菓子屋を営んでいました。
〈私は本郷の大学へ行く時その店の前を始終通りながらその娘を見染め、そこで人を介して遂に嫁に貰ったわけです〉。
〈自分で植物図譜を作る必要上この印刷屋で石版刷の稽古をしていた時だったので、これを幸いと早速そこの主人に仲人をたのんだのです〉。
見合いではなく、恋愛結婚だったわけです。といっても、自叙伝ですからね。
実はこの時点で、牧野には郷里の土佐に公式の妻がいたのです。そう、最初の妻の牧野猶です。猶がいながら、東京でいわば愛人をつくったということになりますね。
これが「隠された事実」です。
牧野富太郎、最初の妻「猶」は従妹で三歳下の才媛
最初の妻となった牧野猶は、牧野の従妹で三歳下。高知県立女子師範を卒業した才媛です。祖母の浪子は、家業の安泰のために早くから二人を結婚させるつもりだったのでしょう。
牧野のあずかり知らぬ間に、祖母が結婚の準備を進めていたらしいです。
先に牧野富太郎の人物伝のおさらいをしておきます。
牧野富太郎は幕末の1862年、土佐藩・佐川村(現高知県佐川町)の裕福な造り酒屋・岸屋の長男として生まれました。満三歳で父を、五歳で母を亡くし、六歳のときには祖父も他界。以降は祖母に育てられました。兄弟姉妹はおらず、跡取りは彼ひとり(らんまんでは、姉がいる設定になっていますが、姉はいません)。
祖母の浪子は祖父の後妻で富太郎との間に血縁はなく、その分、孫を立派に育て上げ、老舗ののれんを守らなければと考えたようですね。
ちなみに、「らんまん」では、松坂慶子さんが祖母役を熱演していますね。
さて、猶との関係を比較的きちんと扱っているのは、大原富枝著『草を褥に 小説牧野富太郎』です。大原富枝と言えば、高知出身の人気作家(当時)ですが、二人の結婚について作者は書いています。
〈牧野富太郎を研究する人々の中には、富太郎とお猶さんの結婚は、あるいは表面だけの問題として形式だけのことであったのではないだろうか、と考えている人もある。/しかし、わたしは実際にきちんと行われたものだと考えている。お猶さんはその後、長く岸屋の内儀さんとして店の経営にもあたっている〉。
猶を実家に残したまま、牧野が寿衛子(壽衛)と所帯を持ったのは祖母が他界した二年後。祖母亡き後も、牧野はたびたび旅費だの自費出版の費用だのと実家に金の無心をしており、最終的には借金まみれで、貧困生活を送っています。
『自叙伝』にはこうあります。
〈私の二十六歳になった時、明治二十年に祖母が亡くなったので、私は全くの独りになって仕舞ったが、しかし店には番頭がおったので、酒屋の業務には差支えはなく、また従妹が一人いたので、これも家業を手伝い商売を続けていた。しかし私は余り店の方の面倒を見る事を好まなかった〉。
なんと、猶さんはただの従妹扱いなのです。
牧野富太郎、最初の妻「猶」は夫にかわって実家を切り盛り
また、朝井まかて著『ボタニカ』は、数ある牧野富太郎伝の中でも、最新の評伝小説です。二人の結婚についても丁寧に描かれていますよ。
〈富さん、えい加減にしいや。あんたが上京する前に話をしたし、訊ねもしたきね。祝言は来年の三月末でえいかと問うたら、おまさんはそれでえいと言うたぞね〉
〈「祝言。それ、まさかわしの」
「他に誰がおる」〉。
かくて二人は結婚するのですが、牧野にしたら猶は妹みたいな存在だったのでしょう。夫婦らしい関係には至らないまま三年が経過。しかし、夫の富太郎に代わって家業を切り盛りしたのも、病に伏した浪子を献身的に看病したのも、看取ったのも、葬儀を仕切ったのも猶だったのです。
この本ではスエの妊娠を知った彼女の母が怒鳴り込んでくるシーンもあります。
〈この子の身の上をどうしてくださるおつもりなんですかと、伺ってんです。土佐にご本妻様がおられるのは承知でスエもこういうことになっちまったんだから〉
〈東京においでの間は一緒に暮らしてくださる。それとも、時々のおいでをお待ちする別宅というご料簡ですかえ〉
怒鳴り込まれた牧野はたじたじになり、土佐に戻り〈実は、子ができた〉と報告するのです。夫に対する猶の対応は立派で、〈おめでとうござります〉と彼女は手をつくのでした。
このあたり、小説ならではでしょう。
最初の妻も、後妻も、対等に、しっかりと描かれています。敬意を払って。
どこまでが史実で、どこからが創作なのか、資料はあまり残っていないらしいので、わかりません(関係者から貴重な資料の提供を受けたそうですけど)。
牧野富太郎、最初の妻「猶」は牧野と離婚後、番頭と所帯を持つ
ただ、岸屋が財政破綻した後、ようやく牧野は猶との離婚を決意。猶は番頭の和之助と所帯を持ちますが、その後も猶と寿衛子(壽衛)は連絡を取り合って、猶は寿衛子(壽衛)に子どもたちの衣服などを送ったり、娘の婚礼の相談に乗ってやったりするのです。
彼女が55歳で死んだ際、葬儀の後で、猶は牧野に言います。
〈お壽衛さんは江戸前の女でしたよ。誇りをもって、あなたを支えたがです〉
賢く、立派な女性ですね。
しかし、「らんまん」には、もちろん猶らしき人物は登場しません。
親族でもある従妹との結婚は、当時は一般的にもあったようですが、従妹であるから、史実から消され、隠されてしまったのでしょうか。自叙伝に都合の悪いことは、本人も書きたがらないものですからね。
それにしても、『ボタニカ』に描かれている猶は、素晴らしいですね。
まとめ
以上、牧野富太郎の最初の妻、「猶」でした。
余談ですが、坂本龍馬についても、実母の死後、継母に育てられていますが、この継母も歴史に埋もれていました。ある作家によって明らかにされたのです。
『ボタニカ』
浅井まかて、祥伝社、2022年、1980円(税込)
『牧野富太郎自叙伝』
牧野富太郎、講談社学術文庫、2004年、1177円(税込)
『草を褥に 小説牧野富太郎』
大原富枝、河出文庫、2022年、979円(税込)
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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