牧野富太郎はなぜ94歳まで長生きできたのか?すべては食生活にあった!

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朝ドラ「らんまん」のモデル。
牧野富太郎(文久2年~昭和32年)は94歳で亡くなりました。
それでも、93歳まで研究を続けたと言います。驚異の生命力です。
いったいなぜ、これほど長生きできたのでしょうか。気になったので、調べてみました。

まず、これはご本人が語っていることでもありますが、「心を平静に保つこと」。つまりはストレスをつくらないこと。これは精神面での話ですが、健康へのこだわりは強かったようです。あとは食生活が長寿と深くかわっていたのですね。

酒や煙草も好みませんでした。酒造業の息子でありながら、お酒が飲めなかったんです。というか、自ら口にしなかったようです。

さて、食生活をみていきましょう。

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牧野富太郎は牛肉を好んで食べていた。魚は好きではなかった!

出典:www.kochinews.co.jp

牛肉を好んで食べていました」と振り返っているのは、牧野富太郎の娘さんである鶴代さんです。
豚肉や鶏肉ではなく、牛肉なんです。魚類も好きではなかったようです。
コーヒーと紅茶は好きだったらしいけど、抹茶はあまりありがたいとは思わなかったとか。

まあ、牛肉には亜鉛が多く含まれているので、免疫力が高まると言われています。鉄分もとれるから、貧血予防、記憶力や集中力も高まるようです。

牧野が晩年も記憶力が衰えなかったのは、この牛肉だという研究者もいます。

ちなみに、昭和初期の日本人の平均寿命は男性が45歳、女性が46歳くらい。

その後は伸び、昭和30年頃は男性が60年、女性も60年。昭和50年くらいに男性の平均寿命は70歳台に達したそうですから、牧野がいかに長生きだったかがわかりますね。

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牧野富太郎はトマトを毎日食べていた。当時はまだ馴染みのない野菜だった!

さらにもうひとつ、健康維持に大きな役目を果たした食べ物があります。
トマトです。

今でこそ、トマトは身近な食べ物ですが、当時はトマトを食べる人は少なかったようです。

つまり生活に馴染みのない食べ物だったのです。

トマトの需要が高まったのは、昭和初期。牧野が60代の頃。
その前から食べていたわけですが、なぜ牧野はトマトに注目したのでしょう。
そこはやはり植物の研究家ですから、この野菜の栄養素に注目したのでしょう。

トマトには、老化を抑える効果のあるビタミンEやビタミンC、食物繊維などが含まれ、これらをバランスよく摂取できます。さらに、トマトに含まれるリコピンは抗酸化作用があるし、血流改善効果もある。がんなどの生活習慣病の予防につながるとも。
牧野はこのトマトを数十年もの間、毎日食べていたのです。

トマトは最初は薬用、観賞用だった

トマトは、いつごろから日本で食べられるようになったのでしょうか。

トマトが日本に入って来たのは、江戸時代初期の頃。当時、トマトのことを「唐柿(とうがき)」と言い、どうやらヨーロッパから中国を通って、長崎に伝来したのが始まりのようですね。

トマトは最初は薬用、あるいは観賞用だったとか。
明治の初めには、「蕃柿」と書いて「あかなす」と読ませ、政府が国民に広めようとしましたが、日本の食生活になじまず、人気がなかったのです。

このトマト、元は南米ペルーのアンデス高原に自生していて、人々は興味すらなかった。それは毒があるかもしれなかったからです。ところが、あまりの空腹に耐えられず、このトマトを食べた子どもがいました。
すると、ことのほかおいしく、噂が広まり、人々が食べるようになったと言われていますね。

トマトの原産地は南米ペルー、自生していた

まとめ

「平静な心」を保つことは大事ですね。長生きの秘訣でしょう。
そして「牛肉」と「トマト」です。筆者も、牛肉とトマトはなるべく食べるようにしてます。長生きしたいですからね。

まあ、鶏肉や豚肉も食べますし、お酒を飲みますけど……。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

 

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コメント

  1. adjust_fit_007 より:

    日本の100歳以上の12000人に、何を食べているかアンケートを取ったところ、1位は何と豚肉。しかも週に3回以上と言うことで、沖縄が長寿県なのも納得です。

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