やなせたかしの妻、「小松暢」(朝ドラあんぱんのモデル)は再婚だった!どんな人物?父親は?

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皆さん、こんにちは!
本日は朝ドラ「あんぱん」の話題です。
「あんぱん」のヒロインのモデルは、やなせたかしさんの妻、小松暢(のぶ)さんです。

暢さんは大阪生まれ。
高知新聞で戦後初の女性記者となったのですが、大阪在住だったのになぜ高知新聞なの?
いろいろと不明な点が多かったようですが、最近はかなり明らかになっています。

そして再婚だったことも!
やなせたかしさんとの結婚は2度目だったんですね。

そこでどんな人物だったのか。
父親についても、調べてみました。

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小松暢さんは再婚だった!2人目の夫がやなせさん

暢さんは、再婚なのですね。
やなせさんと出会う前、高知生まれの6歳上の男性と1939年に結婚しています。
結婚相手は、どんな人物なのかと言うと、日本郵船株式会社に勤務していた小松総一郎さんという方です。

ただ、総一郎さんは戦中、一等機関士として召集されていたと言いますが、病気になり、終戦直後に亡くなっています。

マスコミなどの資料によれば、総一郎さんはハイカラな方だったらしく、ライカのカメラを暢さんに贈ったそうですよ。

ライカのカメラなんて、今では相当な高額のカメラですからね。

夫を亡くし、1人になった暢さんは1946年4月、27歳の時に高知新聞社に入社しました。

小松暢さん、なぜ高知新聞社の記者に?

写真引用:高知新聞(やなせさんと小松暢さん)

暢さんの父親は、高知県安芸市出身だったのです。
それで高知とはご縁があったということ。

暢さんは、高知新聞本社が戦後に初採用した女性記者2人のうちの1人。
数カ月遅れでやなせさんが入社し、2人は同じ部署(社会部)で働くことに。
ここで恋愛へと発展していくのです。

ただ、暢さんは1年もしないうちに新聞社を辞めて上京。記者として鍛えた速記の腕を生かし、高知選出の社会党議員の秘書になりました。

新聞社時代にやなせさんとは結婚を約束。
それで「先に上京して、待っているわ」と伝え、やなせさんは後を追って退社。
こうして暢さんはやなせさんを支え、やなせさんは漫画家の道に進むことになったのですね。

大阪生まれの暢さんは生前、周囲に「自分は高知出身」と語っていたそうですから、話がややこしいわけです。

暢さんは、大阪や土佐なまりはなく、姉御肌でさっぱりした性格だったようです。
なんと、幼い頃は毛皮のコートを着るなど、モダンな暮らしぶりだったようですし、そんな逸話が残されています。
小学校の入学前後に父親を亡くしています。

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小松暢さんの父親とは?

暢さんの父親は「鈴木商店」で働いていたと言います。
お名前は「池田鴻志(こうし)」です。

鈴木商店と言えば、当時は日本一と言われた総合商社です。
高知新聞などのメディアに小松暢さんの父、池田鴻志さんが取り上げられています。

釧路の政財界で活躍した約120人の評伝をまとめた『釧路の人物』(1922年刊、釧路日日新聞出版)に顔写真入りで池田鴻志さんが紹介されています。

「本によると、池田さんは1885年に安芸市で生まれた。高知商業学校(現高知商業高校)、関西法律学校(現関西大学)を経て、1916年に鈴木商店系列の九州の炭鉱会社に入社。すぐに同商店に引き抜かれ大阪木材部に異動、翌17年に主任に昇格し、19年に釧路出張所長となっていた。」(高知新聞)

暢さんはそんな父親の娘さんってことですね。

話題も広くて怖い物知らず。はっきりものを言う人。
朝ドラでも、「ハチキン」として描かれているようですから。

もっとも、再婚については、どのように描かれるのか、番組を見ないとわかりません。
ドラマの脚本とはあまり関係ないと思いますけど……。

まとめ

本日は朝ドラ「あんぱん」のモデル、小松暢さんについてまとめみました。彼女が再婚だったことは筆者も知らなかったので、ご紹介しました。それはともかく、モデルがいるドラマです。番組が楽しみですね!

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