【ブギウギ】笠置シズ子と「パンパン」との関係とは?歌と踊りは夜の女の心も掴んだ!

朝ドラ
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朝ドラ「ブギウギ」がおもしろいですね。
東京ブギウギが大ヒットし、それでもスズ子(趣里さんが演じています)は父のいない一人娘を必死で育てていきます。
当時、日本には靴磨きの子や街娼が溢れていたと言います。
日本は8年もの長い間、戦争をしていましたから。

そして実際の笠置シズ子は「パンパン」と呼ばれた夜の女たちの心も掴んでいくのです。
いくつかのエピソードが残っていますが、それらを見ていきましょう。

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【ブギウギ】笠置シズ子と「パンパン」との関係とは?

朝ドラ「ブギウギ」では、まず「ラクチョウのおミネ」がスズ子に会いに来ます。というか、雑誌に紹介された記事に腹を立て、怒鳴り込んでくるのです。
そんな始まりでした。
おミネを演じるのは、田中麗奈さんですね。

笠置シズ子は街娼たちのことをこう語っています。

「世間ではあの人たちのことをパンパンガールなんて悪くいいますけど、わたしにはどうしてもそんな言葉では呼べませんね。あの生一本な純情なところを見ると、あの人たちは決して悪い人たちじゃないと思いますよ」(『サンデーニュース』17号、1948年)

彼女たちに共感の心情を寄せているのがわかります。
シズ子も不幸な生い立ちですから、そういう感情が働くのでしょう。

「靴磨きの子ども達は可愛いですよ、わたしがコヤがはねて帰るでしょ、するとあの地下鉄の階段あたりのところで待機してるんですね、知らん顔して通るわけにもいきませんよ、私も思わず笑ってやったりして」(同)

朝ドラでも、靴磨きのシーンが今、多いですね。

「ラク町(有楽町)でも靴磨きでもなんでもいい、そういう民衆の底の底の人たちにまで、わたしはわたしの芸を理解してもらい、そして一緒に喜んでもらいたい、これがわたしの生き甲斐です」(同)

参考:「PRESIDENT WOMAN」ノンフィクション作家・砂古口 早苗

なお、パンパンガールの語源は、諸説あるようですが、米兵が手を「パンパン」と叩いて呼んだことから、そういわれているとも。

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【ブギウギ】笠置シズ子の歌と踊りは夜の女の心も掴んだ!

こんなエピソードが残っています。

笠置シズ子が1950年アメリカ公演に行く前には、街娼たちが席を買い占めたのです。
50年6月、渡米するシズ子の歓送特別公演が日劇で行われたとき、夜の女たちの姐御“ラク町のお米”は仲間たちに大号令をかけました。

日劇の1階の半分、約800席を買い占め、「ラクチョウ夜咲く花一同より」と書かれた、ひときわ大きく高価な花束をステージのシズ子に贈ったのです。

シズ子は感激し、彼女たち一人ひとりに「おおきに、おおきに」と握手して回ったと言います。

情に厚い彼女ならではのエピソードでしょう。

娘のヱイ子さんの誕生パーティで自宅に招いたこともあるそうですよ。

「パンパン」は有楽町や上野などのガード下に多く出没した

ちなみに、昭和47年、政府は街娼が6大都市だけで推定4万人、48年には全国で45万人と発表。敗戦の現実はまず、夫や親を失った女性と子どもを悲惨な境遇へ追いやったと言えますね。

東京の街娼たちは有楽町や上野などのガード下に多く出没しました。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)本部にも近く、とくに彼女たちの得意客が進駐軍の兵隊でした。
米兵たちはシズ子の歌に熱狂し、米兵相手に体を売る「パンパン」もまたシズ子のブギに熱狂したのです。

まとめ

シズ子の生き方は素晴らしいと思います。朝ドラ「ブギウギ」がますますおもしろくなってきましたね。
またご紹介したいと思います。

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