浮世絵師「葛飾北斎」93回も引っ越したのはホント?ウソ?

都市伝説
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皆さま、こんばんは。
23時の都市伝説のお時間です。
都市伝説の話は23時頃に読むのがいいようで(知らんけど)。

本日は「引っ越し魔」のお話、
現代でも、引っ越し魔はいるでしょう。
筆者もこれまで、高知、大阪、東京と引っ越しを繰り返し、20回近く住まいを変えました。
多いほうかもしれません。

そんな中、江戸時代後期に活躍した浮世絵師、葛飾北斎はなんと、90年の生涯で93回も引っ越したそうです。
北斎と言えば、『富嶽三十六景』で知られていますが、これってホント?ウソ?

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「葛飾北斎」93回も引っ越したのはホント?ウソ?

有名な富嶽三十六景

北斎の文献によれば、どうやらこれは本当のようです。

一日に3回も引っ越した記録もあるくらいで、当時の人名録(広益諸家人名録)では、北斎は「居所不定」とされていました。
まあ、これだけ多くの引っ越しを繰り返せば、住所も定まっていないということになりましょう。

なぜそんなに転居を繰り返したのか。
諸説ありますが、一番有力なのは「掃除ぎらい」だったという説です。

北斎には、絵師である娘のお栄がいました。
二人は絵に集中するあまり家事はせず、食器さえも持っていなかったと言われています。
惣菜や饅頭を買い込んで食べ、その包み紙などはゴミ箱に捨てず傍に放置する始末。
当然、部屋は散らかる一方です。
ゴミ屋敷ですね。

そして臭くなれば、絵も描けない。我慢できなくなると、新居を探して引っ越し。それを繰り返していたということです。
つまりゴミ屋敷になれば、引っ越したわけですね。それが許された時代だったんでしょう。

借金取りに追われたわけでもなく、「掃除をせずに綺麗な部屋に移りたい」という理由でした。だから決して遠方には行かず、生誕地の葛飾郡(現在の東京都葛飾区・墨田区・江東区・江戸川区周辺)から、離れることはなかったそうです。
なぜ片付けようとしなかったのか。
これには理由があります。
現存する北斎の作品は3万点を超えます。これだけの作品を描くためには、掃除なんぞをしている暇はない。そういう考えだったようです。

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「葛飾北斎」ペンネームも30回以上改名した奇人!

また、葛飾北斎というペンネームも、30回以上の改名を経て行きついたとか。葛飾というのは、生まれ故郷の葛飾からきており、かなり愛着が強かったようです。

出典:にっぽん奇人変人列伝、晩年の北斎

90歳という長命でもあったわけですが、家賃や引っ越し代はどうだったのでしょうか。気になりますね。

飯島虚心が明治26年(1893)に執筆した『葛飾北斎伝』は、北斎の伝記を体系的にまとめた初めての研究書ですが、冒頭には重野安繹による序文があって、そこにはこう記されています。

画工北斎畸人也。年九十而移居九十三所。

北斎は「畸人」。これは風変わりな人物という意味で、90歳の生涯で93回も引っ越した、と。確かに、引っ越しも、改名も、多すぎます。

ただし、厳密に93回だったのかどうか、それは疑問でしょう。
わざわざ引っ越さなくても、人を雇って掃除をしてもらい、代金を払えば、そのほうが安くつくのでは?

実はそんな疑問を北斎にぶつけた人もいました。
四方梅彦という戯作者ですが、その質問に北斎は、金の問題ではなく、転居を100回しようとした寺町百庵という人物がおり、その百庵にならって自分も100回引っ越しを目指していると答えたそうです。

はあ?
なんともはや、常人には理解できませんが…。

寺町百庵は、俳諧や和歌に精通した人物で、生涯に、転居百回をすべしとして、自ら百庵と号し、すでに九十有余回の転居をしていたと言いますけど。

いやはや……。まあ、お金はあったのでしょう。

北斎、まさに奇人!

まとめ

葛飾北斎の都市伝説についてまとめてみました。文献には93回の引っ越しと出てきますが、実際、数えたのか、という疑問が残ります。まあ、93回の引っ越しは真実としておきましょう。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

参考文献:「別冊歴史読本 にっぽん奇人変人列伝」(新人物往来社)

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