皆さん、こんにちは。
長崎「軍艦島」はご存じでしょう。
時々、テレビの特集で紹介されますので、目にする機会も多いでしょう。
テレビ朝日「帰れマンデー見っけ隊!!」(2024年12月2日)でも、
「軍艦島」が取り上げられていましたね。非公開エリアスペシャル放送となっていましたけど。
崩壊寸前の建物やらも含め、かつての生活がわかる貴重な映像がたっぷりで興味深かったです。
この軍艦島には、パチンコ店や映画館、デパ地下、酒場、さらには遊郭まであったんですね。
番組では遊郭の話は出てきませんでしたが、
気になったので調べてみました。
「軍艦島」には行列のできる遊郭まであった!?
1957年に売春防止法が施行されるまで、
軍艦島には、遊郭の存在があったとされています。
南部商店街にあった遊郭の前には、人々が列をなしていたらしい。
こっそりと行くのではなく、連れだって行ったのでしょう。なんせ島ですから、極秘裏には行けませんね。
もっとも、次第に、若い人たちは長崎まで行くことが増えたといいますけど。
まあ、若い人はバレるのが恥ずかしいでしょうから。
軍艦島には3軒の遊郭(遊女屋)があったんですね。
「本田」「森本」は日本人用の遊郭、「吉田」は、朝鮮人専用だったとか。
これは朝鮮人の方も働いていたためのようです。
ただ遊郭と言うよりも、遊女屋でしたが、元島民の話では、
誰もが「遊郭」の言葉を使ったと言いますね。
遊郭は戦後も営業が続けられていましたが、
やがて仕事が休みの日に長崎市内へ繰り出す人も増え、
需要も減っていき、一般的な遊郭のような発展はなかったのです。
売春防止法が制定された1957年、
表向きには遊女屋や売春宿の類は島内から姿を消すこととなりました。
さらに同時期に発生した巨大な台風9号によって、
南部にあった商店街、木造の商店は壊滅したそうです。
そんな歴史があったのです。
軍艦島の通称で知られていますが、名前は「端島」です。
長崎県長崎市の五島灘に浮かぶ無人島で、
2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つとして世界遺産の文化遺産に登録されましたね。
島の最盛期には約5300人が住んでいました。
「軍艦島」廃墟のまま維持か?
帰れマンデーより
2016年、軍艦島の所有・管理を行う長崎市は、
老朽化が進む軍艦島を国や長崎県の補助を受けながら、
約108億円をかけて整備する方針を明らかにしました。
市の計画では、明治時代から残る護岸や炭坑関連施設を優先的に整備する計画。
また、鉱員住宅などを補修するためには、
別に約120億~670億円が必要になると試算されています。
観光用に一部、整備されていますが、それでも次第に老朽化していっています。
危険エリアには入ることもできないし、
ますます豊楽が続くでしょう。
ただ廃墟の軍艦島を完全かつ綺麗に修復すると、
その価値が損なわれることになります。
つまり、軍艦島は廃墟のまま維持するということ。
難しい修復と保存が求められているのですね。
軍艦島は一度は上陸してみたいですね。
残念ながら、遊郭痕はないようですけど。
軍艦島へのアクセスは?
軍艦島には5社の運営会社が行っている「軍艦島クルーズ」に乗らなければなりません。
以下、クルーズ船や値段などがわかります。
まとめ
軍艦島は興味深いですね。遊郭まであったとはすごい歴史ですね。一度は上陸してみたいです!今後、さらに崩落していきますから、
どうなっていくのかも、気になります。
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