「綿半」(野原勇社長)は織田信長家臣が創業?いったい誰?カンブリア宮殿

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次回のテレビ東京系「カンブリア宮殿」(1月9日放送、11時06分 ~)に、織田信長の家臣が創業したという400年企業が登場します。
綿半ホールディングス」(野原勇社長)です。ちなみに、〈わたはん〉と読みます。
創業はなんと、関ケ原の戦いの2年前だって。
100年企業や200年企業もけっこう多いし、400年企業が決して珍しいわけではない。
大阪に本店のある「金剛組」(総合建設)は、創業1500年のようですからね。

珍しいのは、織田信長の家臣が創業したということ。
筆者にはその点が気になり、調べてみました。
同社のHPなどを参考にさせていただきましたが、家臣とはいったい誰なのか、ご紹介しておきましょう。

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織田信長の家臣、中谷勘右衛門とは?

創業は関ケ原の戦いの2年前。どうやら武士の志で会社を作ったようです。

1582年、本能寺の変で織田信長が討たれた時、織田方の家臣に中谷勘右衛門という武将がいたのです。

この時、中谷勘右衛門は、武田氏を制圧し、甲信州を治めているところでしたが、本能寺の変によって統率を失い、織田勢は混乱。
中谷勘右衛門も、苗字帯刀を捨て、名を仁兵衛と改め、飯田に移り住んだそうです。

その後、仁兵衛が16世紀後半に、長野県飯田地方で綿の商いを興します。それが「綿半」の始まりとか。

以後、仁兵衛さんの子孫である綿屋半三郎さんの代から「綿半」という屋号を用いるようになり、これが「綿半」の由来と伝えられているそうですね。
(同社HP参照)

同社の時代を見据えた生き延び戦略

老舗の和菓子店などは、和菓子一本で勝負し、生き延びてきていますが、同社はかなりの変革を辿っているのが見てとれます。

江戸時代になると政治・経済も安定し、綿が重宝されるようになります。
やがて仁兵衛さんの子孫は、飯田藩御用達商人となり、苗字帯刀を許され、江戸末期まで順調に綿商いを続けました。
つまり刀を捨て、綿商いを始めたことが起源ということになりますね。

明治に入り、近代産業が導入されると、綿の商いを古参の店員に譲り、今度は洋鉄やセメント等を扱う金物商に事業転換。

1949年に株式会社綿半鋼鉄金物店を長野県飯田市に設立し、戦後の復興に基づくインフラ整備の流れに乗って、建設資材の卸売業を行うように。

1966年には綿半鋼機株式会社に商号変更し、高度経済成長に伴い、屋根工事・鉄骨工事から、内外装等まで手掛ける建設専門工事業へシフト。

一方、建設資材卸売業からの派生で1977年に株式会社綿半ホームエイドを設立し、長野県長野市にホームセンターを出店。

同社HPより

2003年には持株会社制に組織改変し、綿半ホールディングス株式会社に商号変更しました。

2007年以降は、ホームセンター商材に加えて、生鮮食品を扱うスーパーセンター化を推進。それがその後の高い成長につながり、建設事業と並んで、大きな事業の柱の一つとなっていったのです。
2010年には、新規事業分野として貿易事業にも進出。

危機からチャンスを見出し、道を切り開いていく『変革の精神』が、400有余年を生き抜いてきた綿半のDNAであることをご理解いただければ幸いです
と、同社HPにも書かれています。

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綿半ホールディングス社長、野原勇さんの経歴

写真引用:同社HP

「カンブリア宮殿」に登場の野原勇さんの経歴についても触れておきましょう。

綿半ホールディングス 代表取締役社長
野原勇(のはらいさむ)

・生年月日:1966年2月17日
・年齢:58歳 ※2025年1月現在
・出身地:東京都

1993年5月:米タンパ大学大学院(MBA)卒業
2001年1月:アクテルナ株式会社代表取締役社長
2008年1月:綿半HD株式会社 入社
2010年6月:綿半HD株式会社 取締役
2013年4月:綿半HD株式会社 代表取締役副社長
2015年6月:綿半HD株式会社 代表取締役社長(現任)

創業500年を見据え、時代の先を読み、新しい暮らしを創り出していくことを使命に、人々の暮らしに寄添う企業として尽力してまいります。

社長のご挨拶でこう語っています。

まとめ

本日は「カンブリア宮殿」に登場の織田信長の家臣が創業したという400年企業「綿半ホールディングス」について取り上げました。家臣が誰なのか?さらにまた、同社社長の野原勇さんの経歴についても触れています。

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