主演男優賞の沢田研二、萩原健一、岸部一徳。元PYGメンバーはなぜ俳優に転向したのか?

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沢田研二、萩原健一、岸部一徳。元PYGメンバーはなぜ俳優に転向したのか?全員が主演男優賞受賞のずば抜けた演技力、いったいなぜ?徹底分析!

『土を喰らう十二ヵ月』より

このほど「第77回毎日映画コンクール」の受賞作、受賞者が決まりました。男優主演賞は『土を喰らう十二ヵ月』の沢田研二さんです。

公開は2021年の『キネマの神様』が先だったけれど、それ以前から『土を喰らう十二ヵ月』の撮影は始まっていました。

本作は信州で1年間の季節の移り変わりを追いかけて撮影。自然の中で生を慈しむ老境の作家を、沢田研二さんは滋味深く演じました。

 

沢田研二さん『土を喰らう十二ヵ月』で男優主演賞、演技力が光る

74歳、等身大のジュリーがそのままで、「今のこの姿を見て欲しい」とファンに伝えていますが、まさに魅力満点。松たか子さんとの相性も抜群で、「3回観ました」「6回も観ました」など、ネットでも賞賛の声が溢れていますね。

沢田さんの男優主演賞の演技について「演じるのではなく、ただそこに存在し、溶け込んでみせた沢田の円熟味に舌を巻いた。」と評しています(スポーツニッポン1/19付)。

今回の受賞について「凄い俳優さんがいる中で、私を選んでいただいたのは、本当にとってもうれしいし、せんえつだし、恐れ多いし、そして大変ありがたく思っております」とコメント(スポーツニッポン)。

表彰式は2023年2月14日(火)に目黒パーシモンホールで開催される予定です。

 

作家水上勉の随筆から生まれた映画を監督の中江裕司がノベライズ。

沢田研二さん数々の受賞歴、演技力は折り紙付き

1979年に公開された『太陽を盗んだ男』では第4回報知映画賞の主演男優賞を受賞。演技力は折り紙付きで、1981年公開の『魔界転生』の天草四郎時貞役では、妖しさに満ちた演技を見せました。皆さんも、ご存じでしょう。

以下はその受賞歴

・報知映画賞 主演男優賞 第4回『太陽を盗んだ男』
・ゴールデン・アロー賞 映画賞 第17回
・高崎映画祭 最優秀主演男優賞 第6回『夢二』
・日本映画批評家大賞 主演男優賞 第16回『幸福のスイッチ』
・毎日映画コンクール 男優主演賞 第77回『土を喰らう十二ヵ月』

沢田さんは、60年代後半のGS(グループ・サウンズ)ブームでは「ザ・タイガース」のボーカルとして脚光を浴び、ソロとなってからの70~80年代にはヒット曲を連発。それぞれの時代の音楽シーンにおいて圧倒的な存在感を持つ人気歌手でありました。

日本レコード大賞をはじめ多くの賞に輝いてきた沢田研二さんですが、いったいなぜ、いつから俳優を志すようになったのでしょうか。

それを語る前に、GS時代からのヒストリーを振り返っておきましょう。

GSブームの時期(1966-69年)に熱狂的な人気を誇っていたザ・タイガース。しかし、ついに1970年12月、解散を発表。続いてタイガースと人気を二分していたザ・テンプターズも解散。ザ・スパイダースも、解散。こうしてGSブームは終焉を迎えました。

 

GSブーム終焉後、PYGを結成、沢田研二と萩原健一のツインボーカル

その直後、「ニュー・ロック・バンド構想」という新たな動きがあり、最後まで難色を示していた沢田さんも岸部一徳さん(当時は岸部修三)の誘いを受けて加入を決意。こうして誕生したのが、「PYG(ピッグ)」でした。

このバンドは、井上堯之をリーダーに据え、本格的なロック・バンドを目指しました。

歴代メンバー
沢田研二:ボーカル – (元ザ・タイガース)
萩原健一:ボーカル – (元ザ・テンプターズ)
大野克夫:オルガン – (元ザ・スパイダース)
井上堯之:ギター – (元ザ・スパイダース)
岸部修三(現岸部一徳 ):ベース – (元ザ・タイガース)
大口広司:ドラムス – (元ザ・テンプターズ)

凄いメンバーです!

PYGは、1970年代初頭に、「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」「ザ・スパイダース」のメンバーが集結して結成されました。各々のグループを解消した6人はリハーサルを開始。バンド名をPYGとし2月1日にデビュー。

PYGはまさに日本のスーパーグループ。沢田研二、萩原健一のツインボーカルを擁したロックサウンドを特徴としていました。ただ、メンバーのソロ活動、俳優活動などが重なり、自然消滅となるのです。

PYGは決して順風満帆ではなかった!

決して順風満帆ではなかったということ。それには理由があります。

1971年3月に京都大学西部講堂で行われたロック・フェスティバル「第1回 MOJO WEST」でのデビュー・ステージ・アクトでは、聴衆から猛烈な罵声を浴び会場は大混乱。
4月に日比谷野外音楽堂で開催された 日比谷ロック・フェスティバルでも、「帰れ」コールを浴びせられ、ステージに物が投げられるなどの騒ぎとなりました。

1971年9月、ドラムスが大口広司さんから「ミッキーカーチス&サムライ」のメンバーだった原田祐臣さんへ交替。萩原健一さんも活動の舞台をテレビや映画に移すようになり、テンプターズ時代からのファンは徐々に姿を消し始め、1972年には客席のほとんどが沢田さんのファンで占められるようになりました。

そんななか、1972年、萩原主演のテレビドラマ『太陽にほえろ!』がヒットし、萩原さんの俳優としての評価が徐々に高まりました。

一方、沢田さんのセカンド・シングル『許されない愛』(1972年3月11日発売)がヒットし、第14回日本レコード大賞歌唱賞、第5回日本有線大賞優秀賞を受賞すると、PYGの存在感も希薄に。結局、1972年11月21日発売のラスト・シングル『初めての涙』を最後にPYGは自然消滅の形で終焉を迎えました。

自然消滅後、どうなっていったのでしょうか。

沢田さんは本格的にソロ歌手へ転向。萩原さんはシングル『ブルージンの子守唄』をリリースする傍ら、俳優活動を本格化させ、残りのメンバーはそのまま「井上堯之バンド」へ移行しました。

「ジュリーとショーケンの2大アイドルスターによるツインボーカル」というコンセプトは大きな話題となり、それなりにコンサートも盛り上がったものの、実際の客席においては、それぞれのファンの間で熾烈な争いが繰り広げられた。
ジュリーがボーカルを取っている時にショーケンのファンがタンバリンなどを叩いて妨害したり、ショーケンが歌っている時にジュリーのファンが大声でおしゃべりをするなど、嫌がらせの応酬が繰り広げられることも多々あった。
(音楽関係者)

久世光彦氏の企画で、沢田研二主演のテレビドラマがスタート

こうしたなかで沢田さんの主演映画が決まります。

『悪魔のようなあいつ』です。これは1975年6月6日から始まったTBS系のテレビドラマ、三億円強奪事件がモチーフ。監督は久世光彦。沢田研二主演、岸部一徳さんも出演しています。

なぜ主演映画がいきなり決まったのでしょうか。
これには理由がありますね。

久世監督は、沢田さんへの思い入れは並々ならぬものがあり、当時は「沢田研二の存在があるからこそ、現在の仕事を続けている」と語るほどだったと言います。

TBSディレクターだった久世光彦さんは、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」とヒットを飛ばし、ドラマの天皇と呼ばれていました。
そして久世さんは、沢田研二の魅力を最大限に引き立てるべく、彼が主演するドラマを企画しました。テレビドラマのヒットメーカーとして知られていたプロデューサーの久世さん、時代の寵児として輝いていた沢田に惚れこんでいたのです。
(参考:TAP the POP)

沢田研二を語ることはぼくにとって容易ではない。言葉にすることが切ない。一口にいって彼にほれている。ほれてしまったものに、なぜほれたか?と問われても答えはない。
「悪魔のようなあいつ」の企画書が彼に対するぼくのラブレターであったろう。結局沢田が主演であれば何でもよかった。
(参考:ザ・スター沢田研二11、Nasiaブログ)

そして本作の主題歌「時の過ぎゆくままに」(阿久悠作詞)は大ヒット。

そんな経緯があったのですね。

ちなみに沢田さんは伊藤エミさんと離婚。田中裕子さんと1989年に結婚されました。
田中裕子さんは大学在学中の1978年、「文学座」に研究生として入団すると、翌年には、NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」に、このドラマの原作者である、主人公の妹・長谷川町子役でテレビドラマデビュー。演技力はずば抜けていましたね。

今でもおしどり夫婦として知られ、仲がいいようです。映画の話なども当然していることでしょうね。

ところで、俳優活動は、萩原さんの方が先でした。
PYG結成後、音楽活動よりも映画監督を志すようになる萩原さん、映画出演においてこんなエピソードがあります。

1972年に製作された松竹映画『約束』(斎藤耕一監督)の製作現場に、萩原さんはサード助監督として参加しました。
しかし、主演俳優の中山仁が降板したため、代役に抜擢されます。この映画の演技で高い評価を得て、俳優へと本格的に転身しました。

そして同年のテレビドラマ『太陽にほえろ!』で注目を浴び、1974年、『青春の蹉跌』でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。俳優の地位は確固たるものに。

振り返ってみると、やはりPYGの解散が影響しているように思われますね。

萩原健一
・日本アカデミー賞 第6回 優秀主演男優賞 『誘拐報道』
・第9回 優秀主演男優賞 『恋文』『カポネ大いに泣く』『瀬降り物語』
・報知映画賞 第19回 主演男優賞『居酒屋ゆうれい』
・キネマ旬報ベスト・テン 第48回 最優秀主演男優賞 『青春の蹉跌』
・日本映画批評家大賞 第19回 審査員特別賞男優賞 『TAJOMARU』

萩原健一の数々の賞に輝いた

ちなみに「カポネ大いに泣く」(1985年公開)は鈴木清順監督。沢田さんと萩原さんは共演、田中裕子さんも出演しています。

同じく、元PYGメンバーの岸部一徳さんも俳優の道へ進み、今では名脇役と呼ばれています。
岸部さんもまた、数々の受賞歴があります。
岸部さんは75年に演出家・久世光彦の勧めで本格的に俳優に転身しました。彼にも、久世さんが関わっていたのですね。

岸部一徳
・東京国際映画祭 「日本映画・ある視点」部門 特別賞 2008年『大阪ハムレット』
・日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞1990年『死の棘』
・優秀助演男優賞 1993年『僕らはみんな生きている』 2011年『大鹿村騒動記』
2018年『北の桜守』
・キネマ旬報賞 助演男優賞 1993年『僕らはみんな生きている』
・報知映画賞 助演男優賞 1993年『僕らはみんな生きている』ほか
・高崎映画祭 最優秀主演男優賞 1993年『病院で死ぬということ』
・おおさかシネマフェスティバル 助演男優賞 2010年『大阪ハムレット』 第23回橋田賞

『相棒』シリーズの小野田官房長官役は、圧倒的な存在感があります。

それにしても、元PYGのメンバー3人がそろいもそろって、主演男優賞を受賞しているのです。

これは偶然でしょうか。久世光彦さんとのかかわりだけでなく、元々演技がうまかったのかもしれません。

なぜ演技がうまいのか、それは歌手としての表現力か…

なぜこんなに演技がうまいのか。筆者は不思議でなりません。演劇学校を出たわけでもない。俳優座を出たわけでもない。

おそらくそれは歌手として表現してきたからではないのか。あるいは、楽器で表現して来たからではないのか。お笑い芸人でも、俳優として成功している人が何人もいますから。

歌手も観客に言葉を音楽で伝える。表現する。俳優も演技で伝える。表現者として歌手も俳優も同じ。だからこそ演技力がずば抜けているのでしょう。

まとめ

沢田さんの今回の受賞作は、素晴らしいと思いますね。
今後も映画でもさらに活躍してくれることでしょう。

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