「ブギウギ」笠置シヅ子の長いつけまつ毛は何センチ?当時は流行っていた?疑問を調査!

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皆さま、こんばんは。

朝ドラ「ブギウギ」がおもしろいですね。

2023年11月22日放送分では、
弟は戦地へと出発し、母は危篤。

そんな状態でありながら、スズ子は舞台に立ちます。
そこで歌った「センチメンタル・ダイナ」は秀逸でしたね。
この楽曲はもちろん服部良一の作曲。
素晴らしかった。趣里さん演じるスズ子の歌と踊りも感動的でした。
そこで気になったのは長いまつ毛!
顔がアップになったとき、長いまつ毛もど~ん!
いったい何センチあるのか。
当時、みんな、こんな長いまつ毛をつけていたのか。
気になったので調べてみました。

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笠置シヅ子の長いつけまつ毛は何センチ?

アルバム(コロムビア)

笠置シヅ子の特徴のひとつが長いつけまつ毛でしょう。
ヒロイン役の趣里さんも、本物にあわせているのか、長いつけまつ毛です。
いったい何センチ?
当時は流行っていたのでしょうか。
もっとも、このつけまつ毛と派手な化粧で警察から睨まれていたようですし、
気になったので調べてみました。

服部良一は、笠置シズ子との出会いについて自伝(服部良一著『ぼくの音楽人生』 )
でこう書いています。

大阪で一番人気のあるステージ歌手と聞いて「どんな素晴らしいプリマドンナかと期待に胸をふくらませた」のだが来たのは、髪を無造作に束ね薬瓶を手に目をしょぼつかせ、コテコテの大阪弁をしゃべる貧相な女の子であった。だがいったん舞台に立つと「…全くの別人だった」。三センチもある長いまつ毛の目はバッチリ輝き、ボクが棒を振るオーケストラにぴったり乗って「オドウレ。踊ウれ」の掛け声を入れながら、激しく歌い踊る。その動きの派手さとスイング感は、他の少女歌劇出身の女の子たちとは別格の感で、なるほど、これが世間で騒いでいた歌手かと納得した。

2人が出会ったのは、1938年(昭和13年)のこと。
なお芸名の「笠置シヅ子」の表記は1957年(昭和32年)に歌手から女優に転身するさいに「シヅ子」としたもの。当時は笠置シズ子と名乗っていました。

シズ子のまつ毛は、3センチもあったんですね。
長いまつ毛をつけ、大きな口を開けて叫ぶように歌い、
スカートを気にもせずに上げて踊り、舞台をかけまわる。
その歌って踊るパフォーマンスは一躍脚光を浴びました。
もちろん当時は珍しい存在だったわけですが、当然、警察から目をつけられました。

何しろ当時の日本は、戦時色が濃くなっていましたから。
「贅沢は敵だ」をスローガンとしていた時代で3センチもある長いつけまつ毛に派手な化粧と身振りのシズ子は警察から睨まれる存在に。
敵国への憧憬を助長するような「敵性歌手」は軍部から目をつけられ、
シズ子も規制を受けることになったのです。
1939年(昭和14年)には劇場への出演を禁じられました。
第二次世界大戦によって戦時色が濃くなる一方の日本において、
多くの歌手は活躍の場が限られていき、シズ子もそうでした。

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笠置シヅ子の長いつけまつ毛、当時は流行っていた?

まず、つけまつ毛はいつからあるのでしょうか。
もともとまつ毛を濃くみせるという技法は古代エジプト時代に存在したようですね。
そして日本では、1920年代に浅草の芸者さんが髪の毛を編み上げてつけまつ毛を作っていたと言われています。
そうなんです、始まりは芸者さんです。
まつ毛メイクで目立つためだったわけですね。

当時芸者さんが手作りで作っていたつけまつ毛を、化粧品メーカーであるKOJIが商品化したのです。といっても、現在のように誰もが使用するものではありませんでした。

1960年代になって、つけまつ毛は一般女性もつけるものとなったようですから、

笠置シズ子のつけまつ毛も、一般的ではなかったということでしょう。
それでも、彼女は早くからつけまつ毛に注目していたんですね。
だからこそ、それがトレードマークにもなったのでしょう。
趣里さんの長いまつ毛も似合ってますけどね。

まとめ

つけまつげが気になり、調べてみました。
疑問を調査した結果、決して流行していたわけではないのに、笠置シヅ子は早くから目をつけていた、ということがわかりました。

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