皆さま、こんにちは。
MBS「情熱大陸」(日曜夜11時~)9月29日放送分に、間寛平さんが出演されますね。
吉本新喜劇史上初のゼネラルマネージャー(GM)です。
テレビで見る、あの奇妙なギャグだけを見れば、GMに向いているとは思いませんが、
人望は厚いようですしね。
間寛平さんはいかにしてGMにまで上り詰めたのか。
時系列でまとめてみました。
間寛平さん、いかにして吉本新喜劇史上初のGMになったのか?
出典:吉本興業
師匠は花紀京さん。「アヘアヘアヘアヘ…」「ア〜メマ!」「かい〜の」などのギャグで有名。
私立柏原高等学校卒業。既婚者。妻は吉本新喜劇の元座員で、長男はミュージシャンの間慎太郎さんです。
2022年初のゼネラルマネージャー(GM)に就任しましたが、
彼の人生は波乱万丈で、多くの困難を乗り越えながらも日本の喜劇界に多大な影響を与えていますね。以下に、その歩みをまとめています。
複雑な家族環境
1949年(昭和24年)、愛媛県との県境にある高知県幡多郡橋上村出井(現:宿毛市)に生まれました。
12歳の時に大阪市住之江区に引っ越しています。
1968年高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。
歌手を目指すが、挫折して大阪に戻り、様々な職を転々とし会社員も経験しています。
1969年、岡八郎さんらが出演していたラジオの公開収録で岡さんと知り合い、岡さんが当時所属していた千土地興行の千日劇場に出入りするように。
千日劇場の閉鎖後、今度は鳳啓助さんに弟子入り志願。既に弟子がいたために断られ、すっとんトリオに弟子入り。
新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」(ストリップ劇場)に入り、幕間コントに”はざま貫平”の芸名で出演して修行を積みました。
この頃から、お笑いに興味があったのでしょう。
1970年、喫茶店でアルバイトをしていた際に、店主の日限萬里子さんの紹介により吉本興業に移籍。日限萬里子さんと言えばアメリカ村の母とも呼ばれている人物ですが、「顔がおもしろい」という理由で、吉本を紹介されたみたいですね。
吉本新喜劇での成功と昇進
吉本新喜劇の研究生になり、花紀京さんの付き人になります。
1974年、盟友となる木村進さんとのコンビで入団から4年、
24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格しました。
1975年、『ひらけ!チューリップ』で歌手デビュー。100万枚のセールスを記録。
歌手を目指していただけに、夢が実現したわけです。
1978年、同じ新喜劇の団員だった現在の妻・光代さんと結婚。
1986年、アメマバッジを10万個作成し、消費者金融に6000万円の借金をします。
東京進出とマラソンへの挑戦
1989年(平成元年)、吉本新喜劇を退団して東京進出(ただし、自宅は宝塚に置く)。
ビートたけしさんを頼りたけし軍団加入を希望するが、大阪時代の寛平の活躍を知る、ビートたけしさんの運転手から諭されて入団を断念。その後萩本欽一さんに師事し、また島田洋七さんと漫才コンビを結成する(その後解消)。
1990年から放送を開始した日本テレビのクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』のレギュラー解答者として1991年1月から最終回まで出演。
2008年(平成20年)12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦。この間、日本には一度も帰国しない予定から芸能活動を休止し、当時のレギュラー番組を全て降板。
2011年1月4日、福岡港に上陸。
2011年 1月21日、2年1か月のアースマラソン4万1000kmにも及ぶ長い旅を終え、その後最終地、なんばグランド花月(NGK)に午後8時40分ゴールイン。
この様子は2時間生放送特番を組まれました。
芸人とは違った顔を見せ、世間を驚かせましたね。
2013年2月4日、淀川寛平マラソン第1回大会に、吉本タレント約100人とともに出場。寛平さん自身は距離10キロのコースに参加、約50分で完走し「みんなが頑張ってくれたので、最高のマラソン大会だった」と語っています。この10キロでは、タレントの猫ひろしさんが優勝。
ゼネラルマネージャーとして新たな役割
出典:吉本興業
2022年、60年以上の歴史を持つ吉本新喜劇において、寛平さんは初のゼネラルマネージャーに就任。 新喜劇の若返りと改革を進め、伝統を守りつつも新たな風を吹き込む役割を担っています。
2022年 – 吉本新喜劇のゼネラルマネージャー(GM)に就任
出典:MBSコラム
GM就任後、座員さんの意識も高まってきたのでは?
それは高まってます! 僕もウケるウケへんより、若い子らがもっと舞台に立って、そこで思い切り頑張ってる姿を見せて欲しいと思ってます。僕は昔、木村進に引っ張ってもろうて、舞台に出て行った。僕がどうしようもないアカンって時には、めぐ兄ぃ(池乃めだか)に台本書いてもらったりして。みんなが帰った後に、うめだ花月の楽屋に一升瓶置いて、「めぐ兄ぃ(めぐにぃ)、頑張ろうな、売れていこうな」「月に給料50万円もらえるようになったら寛平ちゃん、俺、飲みに新地連れてくわ。よっしゃ、頑張ろう」って、そんなんして僕らやってた。でも、今の子はないんですよ。アルバイト優先とかで。まぁそこは、時代が違うのかもしれへんけど。そうはいっても、やる気が出てきているのはすごい感じます。(引用:MBSコラム)
今年3月に吉本新喜劇は63周年を迎えました。GMとしてどんなことを意識されていますか?
そうですね。僕らの時代とはまた違うけど、やっぱり新喜劇おもろいなぁ、変わったけどちょっといいなぁ、とかお客さんに思ってもらえるようにせなあかんと思ってる。僕らの笑いは古いし、こってこて(笑)。でも、笑いは絶対に負けへんという気持ちでやるから。短い人生やから思いきりやったんねんて。ほんで座員一人一人をほんまに大事にして、新しい新喜劇を作ってやりたいと思ってます。今回の新喜劇まつりのオンラインチケットの売れ行きもすごい言うてましたよ。それだけ新喜劇ファンっていてるんですよ。だから大事にしたいですね。新喜劇いうたら、大阪の宝やもんね。(引用:MBSコラム)
余談ですが、間寛平さんの年収は6400万円と言われています。
間寛平(Kanpei Hazama)
1949年高知県生まれ。75歳。1970年、吉本新喜劇に入団。1974年に24歳の若さで座長に就任。その後、89年に新喜劇を退団し、東京進出。2008年、芸能活動を休止し、ヨットとマラソンのみで地球を一周する「アースマラソン」を敢行。道中で病に侵されながらも、2011年ゴール。2022年2月、吉本新喜劇史上初のゼネラルマネージャーに就任する。「かい~の」「脳みそパ~ン」「アヘアヘウヒハ」など数多のギャグを持つ。
まとめ
情熱大陸で何を語るのでしょうか。楽しみではありますね。最近の芸人はみんな芸事以外の才能を発揮し、それがまた話題になることが多いです。マラソンについては凄い才能だと思いますね。
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