俳優の横浜流星が主演を務める、NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(毎週日曜 後8:00 NHK総合ほか)の第1回「ありがた山の寒がらす」が、1月5日に放送されました。
なんと、吉原炎上から始まり、凄い迫力でした!
物語冒頭、江戸の町を大火事が襲い、逃げ惑う人々の中から主人公の蔦重が初登場です。
大河ドラマで、いきなりの大火事シーンから開始です。
いや~、迫力ありましたね。
「吉原炎上がトレンド入り」でしたしね。
そこで吉原炎上について、どういうものだったのか、確認しておきましょう。
吉原炎上!明和の大火の死者は?
ドラマは、“蔦重”こと、蔦屋重三郎が主人公。
親なし、金なし、画才なし……ないないづくしの“江戸のメディア王”として時代の寵児になった快楽児・蔦重です。
江戸時代中期に喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝を見出し、日本史史上最大の謎の一つ“東洲斎写楽”を世に送り出しました。
この大河ドラマでは、江戸時代の版元で浮世絵師の喜多川歌麿や葛飾北斎を世に出したことで知られる蔦屋重三郎の生涯を描いています。
第1話。
主人公が目の当たりにした「吉原炎上」は、実話でもありますね。
吉原炎上!遊女600人の死亡は真実か?
江戸時代の三大大火のひとつ、「明和の大火」。
明和9年(1772年)2月29日、目黒行人坂にある大円寺から始まった火災。強風にあおられて、一気に燃え広がったんですね。
麻生、京橋、日本橋、神田など…。
神社仏閣も被害を受け、死者は1万4700人、行方不明者は4000人以上と記録されています。
この大火で老中・田沼意次の屋敷も類焼したようですよ。
吉原遊郭は、江戸時代に幕府公認の遊郭でしたが、何度も炎上しています。
べらぼう第1話、「明和の大火」でも、吉原遊郭は甚大な被害を受けました。
逃げ惑う遊女は池(吉原にあった花園池)に飛び込み、600人もが死んだという生存者の証言がありました。
しかし、後日の調査で、これは誤解だとわかり、実際の死亡者は88名、そのうち30名は花園池で焼死または溺死したとのことです。
なんだ、そうだったんですね。
それでも、凄い死者でしょう。
その後の吉原遊郭はどうなったのでしょうか。
幕府の尽力もあって、火事のあとに再建されました。再建後はすぐにまた繁盛し始めたと言われていますよ。
まとめ
今回はNHK大河ドラマ「べらぼう」から、物語冒頭に描かれた「吉原炎上」についてまとめてみました。実話でもありますから、興味深いですね。横浜流星さんの演技も光りました。
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