皆さん、こんにちは。
俳優の火野正平さん(本名二瓶康一=にへい・こういち)が2024年11月14日、自宅で亡くなりました。
75歳。
所属事務所(シーズ・マネージメント)が20日発表し、
すでに家族葬を執り行ったと言います。
多くの女性と浮名を流し、元祖プレイボーイとして有名ですが、
火野さんは本妻との結婚生活はわずか4年、
その後別居し、内縁の妻とは40年以上も生活を営んできたのです。
ん?
ここで疑問に思ったのが、なぜ本妻と「離婚」しなかったのか、ということ。
すごく気になったので、これについてこの記事では切り込んでみました。
火野正平さん、本妻とはなぜ離婚しなかったのか?
出典:東スポ
火野正平さん、本妻とは結婚生活4年?内縁の妻とは40年!
火野さんは今年4月から持病である腰痛の治療に励んでいましたが、
夏に腰を骨折して以降、体調を崩していたと言います。
「最期まで仕事復帰を願っていたが叶うことはなかった」
「自宅で家族に見守られて穏やかな最期を迎えた」とのことです。
そんな火野さんは21歳のとき、1971年に一般女性と結婚。
1男1女をもうけましたが、間もなく別れました。
火野さんは2歳年上の幼なじみの女性と15歳から交際を始め、18歳で同棲。21歳の時に結婚して一男一女をもうけた。
しかし結婚早々に女優の新藤恵美との浮気が発覚し、結婚から4年と経たずに妻を捨てて出奔。(週刊新潮)
ただし、この最初の妻とは籍が入ったまま。
雑誌のインタビューで「だからバツイチじゃないよ。(籍を)抜いてくれないんだもの。
連絡もない、遠い人、宇宙の人…何十年も会ってない。娘には会ってるけど。怖いんだもの」と明かしています。
別れたあとは、まさにモテモテ。
女優の新藤恵美さんと交際。
その後も女優の紀比呂子さん、アイドルのホーン・ユキさん、望月真理子さん、
仁支川峰子さん、りりィさんなど数々の女性と交際してワイドショーをにぎわせましたね。
さすがにこれは凄いでしょう。
実際、複数の”家”があり、
毎日帰る家に悩んでいたとインタビューなどで明かしていますし、
「最大で11股している」とも報じられたことがありましたね。
やがて内縁の妻と出会うわけですが、
その前に火野さんの経歴を紹介しておきましょう。
火野正平さんの経歴
出典:gooニュース
1949年5月、火野さんは東京都目黒区で生まれました。
母の勧めで12歳の頃劇団に入団。
すぐに『少年探偵団』(フジテレビ系)のレギュラーに。
中学2年生の時には親の仕事の関係で大阪に引っ越し、
火野さん独特の関西弁まじりの喋り方を生むこととなりました。
その後、’73年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』に羽柴秀吉役として出演しブレイク。
それまで本名で活動していた火野さんですが、
この際に池波正太郎が名付け親となって「火野正平」に改名しました。
以来、
火野さんは、数々の時代劇、映画で活躍する傍ら、まさに火のごとく、
70年代から80年代にかけて多くの女性と浮き名を流しましたね。
雑誌などを読むと、「大阪弁の女性に魅かれる」とも語っていますが、
大阪に住んでいたことも要因でしょうか。
たとえば、口説きたいと思っている女性の1人として、misonoさんの名前を口にしていましたね。
「会ったことないよ。でも、かわいいじゃないですか。基本、大阪弁、かわいいんだよ」などと…。
火野正平さん、内縁の妻との出会い
内縁の妻という表現は、あまり相応しいとは思いませんが、
法律的にはそうなりますね。
火野さんは1982年から内縁の妻と事実婚の関係を築き、
40年以上も共に生活してきたのです。
火野さんのこの選択は、世間からも注目を集める一因ともなりましたが、
不思議と批判的な意見はほとんど見当たりません。
彼自身もその状況を公に語り、オープンな関係を示していました。
火野さんの内縁の妻は、元宝塚スターである鳳蘭さんのマネージャーを務めていた女性だそうです。
長い年月の中で、2人は互いに支え合い、深い絆を育んできたのでしょう。
交流のあった俳優の中野英雄さんは、
インスタグラムで「最後は奥様や家族に手を握られながら逝った先輩 素敵だよ」などと投稿しています。
「奥様」というのは事実婚の妻を指しています。
2人の間には娘さんも2人おり、家族としての絆は非常に強いものを感じますね。
内縁の妻は、火野さんの公私にわたるサポートを行い、彼の芸能活動にも深く関与していました。
それでいて、火野さんは自分の生き方を貫いてもいましたね。
火野正平さん、「前の母ちゃん」と離婚しなかった理由
火野さんは「前の母ちゃん」「今の母ちゃん」という言い方をします。
この言い方は火野さんの愛情を感じますね。
「前の母ちゃんと籍を抜いて今の母ちゃんを入れてやりたいけども、前の母ちゃんの立場もあるだろうし。だから俺から言うこともないかなと」(『週刊現代』2016年2月20日号)
「今の母ちゃん」との今後については次のように語っていました。
週刊誌『女性自身』からの抜粋です。
「離婚がはっきりすりゃ、結婚しようと思ってますよ。ただし、それは女房が決めることでね。
好き勝手に家を飛びだしたオレの決めることじゃないもの」
だがその後も、本妻との離婚は成立していません。
勝手に家を飛び出した火野さん、だから”離婚”の主導権はないと思い続けていたのでしょう。
一方、火野さんと別居状態だった本妻は、次のように語っています。
「あの人は可哀そうな人なんです。帰るところいったらここしかないんですから。
もし、その人と別れて帰るところがなかったら可哀そうでしょう」
いやはや、「前の母ちゃん」もめちゃくちゃ寛容というか、優しい考えの持ち主なんですね。
離婚届を出さず、「帰るところ」をしっかり残しておいたわけですから。
愛とは何か。家族とは何か。
そんなことを考えさせられますね。
それと、いろんな女性と交際をしてきた火野さんですが、
相手の女性から悪口を聞きません。
これについては、雑誌のインタビューでこう話しています。
「別れた後、悪いこと言わないように、相手に頼んでる(笑い)。
まぁ、女が言わないんじゃなくて、俺が女の悪口言わないから。だからだよ。
それに、恋のアンテナ感度がいいだけ。俺から行ってたら、ただのエロじじい。
まあ、自分から行くときもあるんだけどね」
元祖プレイボーイ。
素晴らしい生き方を貫いた俳優とも言えるでしょう。
また、生前、今の母ちゃんには、「死んだらハワイで散骨してほしい」と言っていたそうですね。
ハワイでの散骨を頼んだのは、2人の妻がいるという複雑な環境のため、
実家や妻の家系の墓に入るのは、はばかられると思ったからのようですけど。
まとめ
火野正平さんは自由な生き方をされてきたと思います。一方で、しっかりと責任感もある。
この両立を目指す姿勢が、彼の魅力の一部ともなっているのでしょう。
天国でも、また浮名を流すのではないでしょうか。
関連記事です↓こちらもお読みください
コメント