やなせたかしの人生に学ぶ!最初の「アンパンマン」は批判殺到!遅咲きの天才とその歩み

朝ドラ
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2025年春に放送開始予定の連続テレビ小説『あんぱん』。
やなせたかしさん夫婦がモデルです。ファンは朝ドラ『あんぱん』が待ちきれないですね。

来年春、今田美桜さん・北村匠海さんが出演する、連続テレビ小説『あんぱん』がスタートします。
アンパンマンを生んだ高知出身の漫画家やなせたかしさんと妻の小松暢さんをモデルに描く、愛と勇気の物語です。
最初の「アンパンマン」は出版社や評論家から批判を受け、バッシングを浴びました。
それでもくじけず、ついには幼稚園児から絶大な人気を集め、69歳のとき、アニメ化されて大人気となるのです。
今でもその人気は衰えていません。
そんな遅咲きの天才、やなせたかしさんの人生を詳しく見ていきましょう。

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最初の大人向けの「アンパンマン」は批判殺到!遅咲きの天才とその歩み

やなせたかしさん(本名:柳瀬嵩、1919年2月6日 – 2013年10月13日)は、日本の漫画家、詩人、作詞家であり、特に子どもたちの心を掴んだ作品「アンパンマン」の生みの親として知られています。

しかし、彼の成功は決して早期に訪れたものではなく、むしろ「遅咲き」と言われるほど長い時間を要しました。
彼の人生には多くの試練があり、戦争体験や苦労した下積み時代など、数多くの困難を乗り越えた後、ついに大きな成功を掴んだのです。

幼少期と戦争体験

やなせたかしさんは、高知出身です(東京で生まれたという資料もあるけど)。
彼の幼少期は、父の死や母の再婚、そして伯父に引き取られて育つなど、波乱に満ちたものでした。
こうした幼少期の経験が、後に彼の作品に深い人間味や優しさを与えることになったと考えられます。

中学時代から絵に興味を持ち、東京高等工芸学校に進学しますが、第二次世界大戦の影響で徴兵され、戦場に赴きます。
戦場では、直接戦闘に加わることはありませんでしたが、弟が戦死するという大きな悲しみを味わいました。
戦争中に得た経験や、平和への強い願いは、後に「アンパンマン」のテーマにも反映されることになります。

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デビューからの長い下積み時代

戦後、やなせさんは高知新聞社で働きながら、絵や文章の執筆を続けますが、30代で東京に移り、本格的に漫画家を目指します。
この新聞社で出会ったのがのちに妻となる小松暢さん。先に彼女が東京に行ったので、後から追いかけていき、結婚しています。

結婚をしたものの、当時の日本の漫画界は手塚治虫のようなストーリーマンガが主流で、
やなせさんが描く大人向けの「ナンセンス漫画」はあまり人気がありませんでした。
それでも彼は様々な仕事を引き受け、「困ったときのやなせさん」と言われるほど、多才で柔軟な活動を続けます。

やなせさんはまた、作詞家としても成功を収め、特に「手のひらを太陽に」という曲は、多くの人々に愛され続けています。
しかし、彼の漫画家としてのキャリアはなかなか花開かず、50代に差し掛かった時期でも、大きなヒット作は生まれていませんでした。

「アンパンマン」の誕生

アンパンマンミュージアム(高知県香美市)

やなせたかしさんが「アンパンマン」を描き始めたのは、50歳の頃でした。
最初に発表された「アンパンマン」は、大人向けの作品であり、今の子ども向けのヒーロー像とは大きく異なるものでした。
この作品は当時、まったく評価されず、ほとんど無視されてしまいました。
自分の顔の一部を誰かに分け与えるなんて、奇異に映り、理解されなかったのですね。

その後、彼はこのキャラクターを子ども向けに改作し、1973年に絵本として発表しますが、それでも当初は評価が低く、評論家や保護者から批判を浴びることが多かったと言います。

それがどこから人気に火がついたのでしょうか?

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幼稚園児から人気に火がついた!

やなせさんは自分の作品が理解されないことに葛藤を覚えつつも、「人を喜ばせること」を自分の使命と考え、創作を続けました。
すると、次第に幼稚園児から人気に火がついていくのですね。
幼稚園などから注文が殺到し、この人気に出版社も大慌て!評価するようになっていくのです。
まあ、大人の意見なんてそんなものでしょうか。

69歳で訪れた大成功

アンパンマンミュージアム(高知県香美市)

やなせさんの人生が大きく変わったのは、69歳のときでした。
1988年にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」が放送開始されると、幼稚園児や低年齢の子どもたちの間で爆発的な人気を博しました。
この成功はやなせさん自身にとっても驚きであり、長い下積みと苦労を経た末に、ようやく彼の才能が広く認められた瞬間でした。

「アンパンマン」は単なるエンターテインメント作品ではなく、その中にはやなせさん自身の哲学が込められていました。
アンパンマンは、自己犠牲を厭わず、自分の顔を分け与えることで他者を救うというヒーローです。
もっとも、最近のデータでは、アンパンマンよりバイキンマンの方が子どもたちに人気のようですけど。

やなせさんの作品には、戦争体験や貧困の中で育った彼の人生観が反映されており、
「正義とは他者を助けること」というシンプルなメッセージが、多くの人々の心に響いたのです。

やなせたかしさんの遅咲きの成功とその教訓

やなせさんの人生を振り返ると、彼の成功は「遅咲き」だったことが強調されます。
30代でデビューし、50代で「アンパンマン」を描き始め、69歳でようやく大きな成功を収めた彼の歩みは、私たちに多くの教訓を与えてくれます。

まず、やなせさんはどんなに苦しい状況でも「諦めない」ことの大切さを体現しています。
彼は自分の作品が認められない時期にも、描くことをやめず、自分の信じる道を突き進みました。
そして、自分が何のために生きるのか、何のために作品を作るのかを問い続け、
「人を喜ばせることが自分の使命だ」と考えたことで、創作活動を続ける力を得ました。

また、やなせさんの人生からは、「遅れてやってくる成功」にも希望があることを学ぶことができます。
彼の成功は決して早く訪れたものではありませんが、長い時間をかけて準備してきたことが、最終的に大きな成果を生んだのです。
彼自身も「諦めないでひとつのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて、出番がやってくる」と語っており、その言葉は多くの人々に勇気を与えています。

最後に

やなせたかしさんの人生は、成功が必ずしもすぐに訪れるものではないという現実を教えてくれますね。しかし、どんなに遅くとも、努力を続け、他者を思いやる心を持ち続けることで、大きな成功と人々からの愛を得ることができるのです。
彼の人生に学ぶことで、私たちも自分の信じる道を歩み続ける勇気を持ち、どんな状況でも希望を持って生きることの大切さを再認識できますね。

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