皆さん、こんにちは(こんばんは)!
TBS系列「クレイジージャーニー」(2025年1月20日夜8時55分~)のゲストにアドベンチャーレーシングチーム・イーストウインド(田中正人/米元瑛/所幸子/小倉徹)が登場します。昨年11月に参戦したARWC2024/世界選手権(エクアドル)の模様がテレビで放送されるようですけど。
このチームを率いるのは、田中正人さん。いったいどんな人物なのでしょう。
経歴や収入?
さらにご家族は?
そもそもアドベンチャーレーサーって?
気になったので調べてみました。
田中正人さんのアドベンチャーレースは世界一過酷な競技
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ここ数年、田中さんやレースの模様がTBS『クレイジージャーニー』やNHK-BS『グレートレース』などのテレビ番組で取り上げられ、チーム活動が少しずつ世の中に知られるようになってきました(一部の番組では田中さんは「鬼軍曹」というニックネームで呼ばれています)。
アドベンチャーレースは、海、山、川、ジャングル、砂漠など、ありとあらゆる自然が舞台の競技です。
チームとともにゴールを目指すわけですが、世界標準とされる競技条件は「男女混成の4名のチームであること」「スタートからゴールまで、夜間行動も含めて3日以上の長距離レースであること」などです。
世界一過酷な競技と呼ばれています。
日本のプロアドベンチャーレーサー。1967年12月、埼玉県生まれ。群馬県みなかみ町在住。アドベンチャーレースのプロチーム Team EAST WIND の創設者であり、自らもプレイヤーとして所属している。
国立東京工業高等専門学校工業化学科卒業。有機化学会社の研究職からプロアドベンチャーレーサーに転身し、1996年に Team EAST WIND を創設。 トランスジャパンアルプスレース第2回大会(2004年)、第4回大会(2008年)優勝。
2023年時点で測量会社に籍を置き、NPO法人奥利根水源地域ネットワークに所属し、自伐型林業のための山林測量を仕事としている。(ウィキペディア参照)
田中正人さん、日本初のアドベンチャーレーサーの経歴
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最近になって知られてきましたが、それでもアドベンチャーレースはまだマイナースポーツと言えるでしょう。
1996年、田中正人さんは有機合成化学会社の研究職を辞めて、日本初の「プロアドベンチャーレーサー」になりました。
田中さんはこのアドベンチャーレースの日本における第一人者。178センチ、63キロ、体脂肪10%。
高校時代からオリエンテーリングの選手として活躍してきた田中さんは、1993年に初開催された71.5kmの山岳レース『日本山岳耐久レース』(通称:ハセツネ)で初代優勝者に。
それがイベントプロデューサーの目にとまり、「(タレントの)間寛平とチームを組んで、世界最大のアドベンチャーレース『レイド・ゴロワーズ』に出てみないか」と誘われたのです。
田中さんは挑戦を決めました。個人競技からチーム競技への転換です。
大会の舞台はボルネオ島。司令塔を任された田中さんでしたが、初めて経験するジャングルでは正確なナビゲーションができません。
それでも、田中さんはメンバーをまったく気遣うことなく、強引に前進しました。
結果的にこれが温和で知られる間寛平さんをも怒らせてしまったんですね。
当時、田中さんは自己中心的だったようで、それを反省し、人と接する機会の少ない研究職は自分に合っていたが、それは苦手な人づきあいから逃げていただけじゃないのか、と。
このままじゃ、人としてダメだ。アドベンチャーレースを突きつめれば、自分は人間として成長できる、と。
そう考えて、翌年、会社を辞めてプロアドベンチャーレーサーになったのですね。
凄い決断でしょう。
田中正人さん、収入は?
アドベンチャーレーサーの金銭事情はどうなのでしょうか。気になりますね。
海外レースの賞金は数千万円のこともあるそうです。2億円の賞金が出る大会もあるんだって。
基本的に上位チームで分配されるため、成績によっては一銭も入らないこともあるとか。
さらに海外のレースに1回参加すると、渡航費や滞在費などで約500万円もかかるのです。
普段、田中さんは林業や山での測量、レースなどに帯同して撮影するランニングカメラマンをやっていて、それが主な収入らしいです。
地図読みの講習会の講師、講演などでも収入を得ています。ただ、定職ではないため、収入は決して安定していないと言います。
後援会やスポンサーたちに支えられているものの、カツカツであるのが実情だと明かしていますよ。
ご本人によれば、部長や取締役といった大きな役職がついていない一般会社員の平均くらいの年収だそうです。
でも、右肩上がりらしいですけどね。
田中正人さん、ご家族は?
ご家族は奥様と娘さんがお1人。
人づきあいの苦手な田中さんに代わって、スポンサー企業との細かなやりとりは妻の靖惠さんが行っています。
靖惠さんは大手企業で通訳の仕事をしていた2001年に田中さんと結婚。
アドベンチャーレースについては何も知らないまま、「南アフリカに行けるらしい」と知人に紹介され、通訳としてレースに一度だけ帯同したのが馴れそめだとか。
最初は地元の旅館でアルバイトをしたり、子どもの英会話教室を開いたりしていたと言いますが、やがて競技のサポートをするように。
夫婦の方向性が定まってからは、靖惠さんはチームのプロデューサーとしての役割を担っていますね。
主な仕事は大会主催者との英語でのやりとり。メンバー4名が競技に専念できるようにと、飛行機や宿の手配、競技規則の確認などを行っています。
長女の徳(あきら)ちゃんも立派なサポーター。レース後には報告会の会場でチームの支援グッズをPRしています
まとめ
世の中にはいろんな人がいるものです。接点がないと知る機会もないわけですが、テレビ番組などで知ることが多くなりますね。いろんな生き方があるものです。番組をぜひ観なくっちゃね!
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