【プラチナファミリー】珍しい苗字「王隠堂」の由来とは?後醍醐天皇をかくまった700年の歴史

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【プラチナファミリー】全国に6軒だけの珍しい苗字「王隠堂(おういんどう)」の由来とは?後醍醐天皇をかくまった700年の歴史

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11月3日(火)19時から、ABCテレビ(テレビ朝日系)で『プラチナファミリー 華麗なる一家をのぞき見』が放送されます。今回は新企画「珍しい苗字のプラチナファミリー」として、奈良県に住む“王隠堂(おういんどう)さん”一家が登場します。

初めて見ると、読み方さえ分からない方が多いのではないでしょうか。実はこの苗字には、日本の歴史の大きな転換点である「南北朝時代」と深く関わる、ドラマのような由来があるのです。

この記事では、王隠堂さんの苗字のルーツや歴史的背景、そして現在の王隠堂家の活動について詳しくご紹介します。

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「王隠堂」はどれくらい珍しい苗字なの?

「王隠堂」は「おういんどう」と読みます。番組の告知記事によると、奈良に1軒、大阪に4軒、愛知に1軒しかない非常に珍しい苗字とのことです。

名字の分布を調べられるサイト「名字由来net」系の人名辞典でも、全国の人数は約30人ほどで、大阪府・奈良県・愛知県に多いとされています。同サイトでは、一生に出会う人を3万人と仮定しても、王隠堂さんに出会える確率は0.1人に満たないと紹介されています。まさに「幻の苗字」と言ってもよいほどの珍しさです。

苗字の由来は「王を隠したお堂」

イメージ画像です(本文とは関係ありません)

王隠堂という苗字の由来は、漢字そのものにヒントがあります。

姓氏研究家の森岡浩さんの解説によると、「王」とは後醍醐天皇のことで、敵の目を欺くためにお「堂」に「隠」したことに由来するといいます。つまり「王を隠した堂」という意味が、そのまま苗字になっているのです。

言い伝えでは、後醍醐天皇が追手から逃れて大和の西吉野村にたどり着き、村の農家にかくまってもらったとされています。そしてその家が王隠堂家です。天皇は無事に難を逃れ、かくまった家はこの出来事にちなんで「王隠堂」という名字を名乗るようになったと伝わっています。

一家の地元である奈良県五條市西吉野町湯塩でも、後醍醐天皇を匿った堂からこの名がついたと伝えられています。もともとは天皇から授かった屋号で、のちにそれを苗字にしたという説明もあります。足利尊氏に追われて吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまった屋敷として天皇から授かった屋号を、後に苗字としたというものです。

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歴史背景:後醍醐天皇と南北朝時代

この由来をより深く理解するために、当時の時代背景を少し振り返ってみましょう。

後醍醐天皇は第96代天皇で、1333年に鎌倉幕府を倒し、天皇中心の政治「建武の新政」を始めた人物です。しかし1336年に足利尊氏によって建武政権は倒され、皇室は京都の北朝と吉野の南朝に分かれて対立することになりました。

足利尊氏が支える北朝の天皇は京にいましたが、後醍醐天皇は京を出て大和の吉野へ逃れ、南朝を開いたのです。こうして約60年にわたる南北朝の動乱が始まりました。王隠堂家の言い伝えは、まさにこの激動の時代の真っただ中の出来事ということになります。

番組では、後醍醐天皇をかくまった家の跡地が紹介されました。茂った森の中。ただ、家は焼けたそうで、跡地です。

 西吉野は南朝ゆかりの地

王隠堂家がある奈良県五條市西吉野町は、南朝と深い関わりを持つ土地です。

近くには梅林で有名な「賀名生(あのう)」があります。1336年、足利尊氏に京を追われた後醍醐天皇が吉野へ向かう途中に立ち寄った地で、天皇をもてなした堀家の邸宅は、その後、後村上・長慶・後亀山天皇の皇居として使われました。現在も「賀名生皇居跡」として知られ、南朝の歴史を今に伝えています。

山深く、谷が入り組んだこの地域は、追手から身を隠すには格好の場所だったのでしょう。番組でも、山の中に残る、天皇をかくまった先祖の家の跡地が紹介され、なぜこの場所が身を隠すのに適していたのかにも迫るようです。

かくまったのは後醍醐天皇の“子孫”という説も

なお、言い伝えには少し異なるバリエーションもあります。奈良の歴史好きの方のブログでは、王隠堂家の方に直接話を伺ったところ、後醍醐天皇本人ではなく、その子孫を守った家系だと聞いたと書かれています。

700年近く前の出来事ですので、細部については諸説あるのが自然です。いずれにしても、王隠堂家が南朝の天皇家を守った一族として、その誇りを苗字に刻んできたことに変わりはありません。

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後醍醐天皇ゆかりの苗字はほかにも

実は、後醍醐天皇にちなむ珍しい苗字は王隠堂だけではありません。隠岐に流された天皇が島を脱出した際の話として、伯耆国に上陸した天皇を地元の戸屋家がかくまい、鶏のねぐらに偽装して隠したことから「塒(ねぐら)」という名字を与えられたという言い伝えがあります。この「塒」という名字は、今も鳥取県大山町などに残っているそうです。

逃亡中の天皇にとって、恩人に報いる手段は苗字を授けることくらいしかなかったのかもしれません。そう考えると、こうした苗字は天皇からの「感謝の証」とも言えそうです。

 現在の王隠堂家は農業で地域を盛り上げる

現在の王隠堂家は、西吉野で農業を営んでいます。農業生産法人「王隠堂農園」は、梅・柿・山菜を中心に営農しながら、安心・安全な農産物を産地から都会の消費者へつなぐことを柱に歩んできた農園です。

また、一家が以前暮らしていた築150年以上の古民家は、現在家族が営むレストランになっており、苗字の由来が記された屏風も置かれているとのこと。古民家レストランには、鎧兜や火縄銃、五月人形、農耕具などが置かれ、タイムスリップしたような空間が広がっているそうです。

番組より

さらに一家は、苗字を守り続けるために農家を志す若者たちを五條市に呼び寄せ、採れた野菜をレストランで提供しています。「地域の継続が家を守ることにもつながる」という正悟哉さんの父の思いのもと、苗字を守るとともに五條市を盛り上げる活動に力を注いでいるといいます。苗字の由来が「天皇を守った」ことにあるように、今は「地域を守る」ことで家の歴史をつないでいるのですね。

まとめ

「王隠堂(おういんどう)」は、全国に数軒しかない非常に珍しい苗字です。その由来は、南北朝時代に追われる身となった後醍醐天皇(あるいはその子孫)を、西吉野の農家がお堂にかくまったことにあると伝えられています。「王を隠した堂」という文字そのものに、一族の700年の歴史が込められているのです。

番組では、由来が記された屏風や山中に残る先祖の家の跡地など、貴重な映像が紹介される予定です。放送を見る前に由来を知っておくと、より一層楽しめるのではないでしょうか。南朝ゆかりの賀名生とあわせて、西吉野を訪ねてみるのもおすすめです。

 

 

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